ささいなこと

 みんなで語りあえる場をつくることができればとおもいます

新人研修での事件に触れて

 ネットやニュースで話題になっている。某企業での過度な新人研修による

自殺が公になった。そもそも 新人研修は、企業での仕事を着実に行う、または、創造的な技能を身につける、態度を養うという名目で構成されている。企業は様々な取り組みを実施し(グループワークや個人活動)、企業にできるだけ早く貢献することを求める。

 

 

①企業とは、営利を目的として一定の計画に沿って行う主体である。

企業は、金銭至上主義の上で成り立つ。

 

 

 そう考えると研修は、金銭を生み出すための人材育成といえるでしょう。

金を生み出すことができる人材を育成する。これが研修の根幹であろう。

 つまり、研修において企業は、いかに効率よく企業に金を生み出さすことができる人材を育成することができるかを目指す。そこに着手する、究極目標はそこにある。

 

ここで、少し哲学の話をしよう。

道具的理性という言葉がある。

 

道具的理性とは、あらゆうるものを道具とみなす思考形態である。例えば、お金を得るために、ものを売買することは、お金を得るという目的のために、ものを売買することを道具とする。また、ww2でのユダヤ人大量虐殺はこの道具的理性の惨禍だといわれている。

 

ユダヤ人を大量虐殺するために、科学技術は道具として扱われた。

虐殺=目的 科学秘術=道具

また、人体の医療を発展させるために、ユダヤ人を虐殺し彼らの体を切り刻む

医療発展=目的 ユダヤ人の虐殺=道具

また、経済は金を得るためのさまざまな経済的活動である。

金を得る=目的 経済活動=道具

 

 この世界のほとんどはこの道具的理性が支配してしまっている。

資本主義のシステムはそもそもすべて道具的理性に該当する。

 私は、この道具的理性は人間を誤った方向へと導くのではないかと考えている。

人間は目的達成のために、手段を誤る危険性がある。

ユダヤ人虐殺の事例はそれを、示している。

 

今回の新人研修での事件は、少し似ているように思う。

金銭を生み出す人材育成のために、企業は誤った手段を講じている。

それが、死を生み出す。

 

 マルクスは、資本家に対する労働者を奴隷とみなした。

人は企業の奴隷なのだろうか?

 

新卒一括採用の時代、そう簡単に転職に踏み出せない

労働者の弱みをついたような、過度な人権剥奪行為は認められない。

 

もしも、そのような立場におかれた人がいたとしたら

逃げ出してもよいセーフティーネットを社会は設ける必要がある。

 

口だけの人権擁護ではなく、実践力のある支援を。

 

自死が3万を超える社会、

 

私はこのように声かけをしたい

 

「がんばらなくていい、逃げ出せ、道はほかにある」

 

そういう私はたいそれた人間ではないですが

 

安易な考えに願いをこめてます。